どうしてデンマークのルイスポールセンに?
私たちだから出来るこのブランドのご紹介方法を見つけるために工場見学に行くことにしました。
照明のスペックであったり、デザイン、価格も含めてですが、どこでお買い求め頂いても同じなのです。同じものが多い中、「コンフォートで皆様がお選び頂く理由ってなんだろう」って考えました。いつもどのブランドの時も考えますが、いつも答えは同じなのです。そのブランドへの熱量の高さ、そしてその熱量を支える確固たる知識の豊富さ。沢山の書籍からの知識、今ならインターネットからの知識、そしてメーカーから受ける説明など、色々な熱量を上げる方法であったり、知識を増やす方法はあるにはあるのですが、現場で見て、聞いて、話して、感じて得られるものとでは雲泥の差です。現場に行き、そこの人が作るものに対してどのような思いを持っているのか、そしてその思いから出来上がる製品とはどういったものなかを目の当たりにすることは、土を作り耕し、種を撒き、雑草を抜き、水をやり、収穫する農家の方々がどのような思いで日々それを行っているのか知ることと似ています。話した農家の方々の思いが熱ければ熱いほど、いい作物ができ、そしてできればそういったものだけで食卓を彩りたいと思うようになるのが普通だと思います。照明は野菜とは違いますが、実際に作る人と会い、そして話すことで、そのものへの思入れは深くなると思うんです。
深くなれば、そしてそれがいいものと知れば、まだそれを知らない方々に知らせたいと思うと思うんです。知らせたいと思うと、その知らせ方をちゃんと考えると思うんです。この当たり前のプロセスを当たり前に進めるためデンマークの工場見学に行ってきました。
皆様にお届けするルイスポールセンがどんなところで、どんな人等によって、どうやって作られているのか、私たちが感じたことをそのままお伝え致します。商品説明の時に皆様が私たちから受けるこのブランドへの熱量がほんものであること、ご確認頂ければ幸いです。
デンマークで作り続けるルイスポールセン
ルイスポールセンの工場の住所は「Industrivej Vest 41, 6600 Vejen,」、コペンハーゲンから250kmくらい、そしてコペンハーゲンから車で3時間くらいのところにありま。日本での距離的には東京都港区から静岡県浜松市までの距離感です。
工場の大きさは東京ドーム4つ分くらいの大きさかと思います。
このVejen(ヴィエン)に工場が移る前はコペンハーゲン市内に同じ規模の工場があったとこのことです。現在では都市開発が相当進んだコペンハーゲン市内ですが、以前はこの規模の製造工場があっても不思議ではない雰囲気がありました。
上空写真からも分かる通り、工場の周りには畑が広がっています。
ルイスポールセンの工場は世界でここにしかありません。照明のほとんどはこの工場で作られ、そして日本へもここから出荷されています。多くの照明メーカーがそうであるように、価格競争で優位に立つためにはデンマークのようなコストが高いところで作り続けることには無理があります。つまり、ルイスポールセンは価格的優位性を狙っているブランドではないということです。
ルイスポールセンがデンマークで作り続ける理由、それは創業時のルイスポールセンが現在のルイスポールセンとなれた理由の大きなところに「デンマークデザインである」という信頼があり、デンマークの社会/文化/歴史に裏書されたこの信頼は価格優位性を失ってまでも守り続けなければならないと信じる人がこの会社を経営しているからです。
デンマークデザインの真髄、それは「形態は機能から、そしてその形態は美しくなければならない」です。
ルイスポールセンの照明は全てこの真髄に沿ってデザインされています。そして、このデンマークの工場で作られています。
ルイスポールセン、ワインのインポーターから電器部品会社、そして照明メーカーへ
私たちのよく知る照明のルイスポールセン、創業は1874年。実はワインのインポーターとして創業しています。デンマークのコペンハーゲンは北緯約55度に位置しています。ワイン用のブドウが生産できるのは「ワインベルト」と言われる北緯30〜50度、そして南緯30〜50度当たり。地球の温暖化の影響を受けて、それ以外の地域でもブドウ栽培できるようになっていますが、基本的には赤道付近の暑い地域、そして赤道から離れすぎた寒い地域ではワイン用のブドウの栽培ができません。コペンハーゲンは北緯55度程、そして国土のほとんどはその北緯よりもさらに北にあるため、ワイン用のブドウの栽培ができません。
「ワインはヨーロッパのどこでも作れるのかも」とイタリアやフランスなど、ヨーロッパからやって来るワインを見ながら、なんとなくそう思ってしまいそうですが、デンマークではワインが作れないのです。
「デンマークで地産ができないものは他国から輸入をして販売する」。小さな国で天然資源がほとんどないデンマークでは最初のルイスポールセンがおこなった輸入産業への参入は当たり前のこと。他にも同じようにワインを輸入して販売する会社は数多いたはずです。現代において日本で沢山のワインインポーターがいる状況とあのころのデンマークのワイン輸入業界とでは然程変わりはないと思います。ワインはずっと昔からある商品。1874年に始める商売として少し遅すぎるかもしれません。それもあってか彼は1878年、つまり創業から4年でこの事業を閉じてしまいます。その後、様々な起業を行いながら、彼は現在のルイスポールセンの礎となる照明自体を含む電器部品を供給する会社を1892年に立ち上げます。当時、酪農が主な産業であったデンマークですから国産の電器部品は存在しているはずなく、彼が扱った電器部品はワインの仕入れ同様に海外、特に地続きのドイツからの輸入であったに違いありません。ワインで培った輸入ビジネスのノウハウを電器部品に応用したのです。
どうして、1892年なのか。実は1891年にデンマーク初の発電所が出来ているのです。石炭などの天然資源がないデンマーク、最初の発電は「風力」。
*以降、輸入する石炭など化石燃料からの発電も増えましたが、依然現代においてデンマークの発電の多くは風力で賄われているという事実は今に始まったことではなく、最初からそうだったということです。
デンマーク Askovにできたデンマーク初の発電施設
この電気の自給自足が始まった1890年代からデンマークでは少し遅れた産業革命が一気に加速していきます。最初の電気の供給先は街灯など、街のセキュリティーを確保する目的、そのあと発電力が大きくなるにつれ、工場、そして一般家庭にまで広がって行った時代です。エジソンが実用的な白熱電球を発明したのは1879年10月21日。少し遅れてデンマークにも1890年代に電気、そしてそれに関わる物資の需要が一気に拡大したことは偶然ではありません。そして、Ludvig R. Poulsen率いるルイスポールセンはこの世相の流れに乗って業績を延ばしていきます。1906年のLudvig R. Poulsenの他界後は1896年に雇い入れた甥のLouis Poulsen(現在の会社名の元)が会社を継ぎ、さらに業績を伸ばします。1913年に雇い入れたSophus Kaastrup-Olsenとの強力なパートナーシップで電器部品、照明等、電材についての総合メーカーとなって行きます。1917年にLouis Poulsenから会社を買い取ったSophus Kaastrup-Olsenはさらなる拡販を目指していました。その当時、電気が徐々に一般家庭にも行き渡る様子を見ていた彼、そこでPoul Henningsen(ポール・ヘニングセン)との出会いが巡ってくるのです。1924年のパリ万博の出展。ポール・ヘニングの才能をバックアップする役周りに徹し、ポール・ヘニングセンはあの「パリランプ」で金賞、それを製造面からバックアップしたルイスポールセンは銀賞を受賞します。この機会をきっかけに、確固たる照明ブランドへの道を歩むことになります。
確固たる照明ブランドとしての地位を築いていったルイスポールセンはアルネ・ヤコブセンを始め、様々な有名デザイナーと共にその地位を揺るがないものとして行くのです。
ルイスポールセンで働く人達の思い
私たちが最初に訪問したのはコペンハーゲン市内にあるショールーム(住所:Kuglegårdsvej 19 - 23, 1434 København, デンマーク)。案内をしてくれたのはshowroom managerのLouiseさん。50代の女性です。ここに訪れるお客様への商品説明などを主な業務としています。ただ、私たちが彼女に確かめったかったこと、それは「商品の詳細」ではなく、彼女がいちデンマーク人としてルイスポールセンブランドをどのように見ているのか。そして、彼女がここで働く理由。
彼女はPH5は使っていないのだそうです。理由は「私の母親の時代からずっと実家にあるPH5、やっぱりノスタルジックすぎる」という理由。彼女の母親は1960年代、そして70年代を生きた世代です。戦後世界的な高度成長期において、デンマークでも起こっていた快適な住空間を切望する欲求から、当時照明として爆発的なヒットとなっていたPH5は外せないアイテムの一つとなっており、そういった家庭が彼女の実家以外にも多くあり、「あの当時どこにでもあったPH5をまた自分のうちにも」との気持ちにはならなかっと言います。ただ、それはPH5が照明として劣っているという意味ではなく、インテリアを考える時「ただ単に真似しただけ」と自分のセンスを顧みることがなかった証拠(実際は深く考えているのに)になるのが嫌だったとの意味です。
PH5を使わない彼女ですが、彼女が実家で両親と1番多く過ごした食卓の上にあった照明がPH5があってよかったと言います。
理由はデンマーク人としての「誇り」。
デンマークデザインを代表するPH5。ある意味PH5を使うことはデンマーク人であることへの誇りだと言います。あのようなすばらい照明がデンマークで生まれたということは、それだけデンマークの文化/歴史/社会が奥深いものであり、それらを築いてきたデンマークの先人がこの地にいたという証拠だからなのだそうです。
彼女はルイスポールセンで働く多くの人がこのブランドと仕事ができることに誇りを持っていると胸を張って何度もそして、何度も語っていました。
PH5は使わない彼女ですが、そういったノルタルジーを感じない、比較的若い世代はPH5をよく選ぶのだそうです。昔もそして今も、ルイスポールセンの照明は日本と同じく、「誰でも手軽に買える価格」ではありません。住環境の快適さに重きを置く若い世代が持つPH5からの印象は50代の彼女が抱く「デンマークの誇り」とは少し違うかもしれませんが、それでも、それを選んだ若い世代が次の世代にバトンタッチする時、その照明の下で育った次の世代の人達は「また、私と同じくデンマークの誇りと思うに違いない」と言っていました。
彼女がここで働き続ける理由、それは「デンマークの誇り」と触れられるから。
時代は変わっても、その価値も評価も変わらないPH5は「やっぱりすごい」と思わせてくれたショール訪問でした。
ルイスポールセンの工場では何を作っているのか?
ショールームを後にした私たちが向かったのは工場があるVeje(ヴィエン)。そこで迎えてれたのはUlla Riemerさん。50代の女性です。もう人生の半分以上をルイスポールセンと共に過ごしている彼女、現在はイタリアのプライベート・エクイティ・ファンド「Design Holding」の傘下となっているルイスポールセンですが、その前からずっとルイスポールセンでお仕事をし続けています。彼女の現在の彼女の仕事は「セールスコーディネーター」。
工場で知りたかったのは、まずここでは何を作っているのか、そしてどうしてデンマークで作り続けるのか。
会社の運命とは人の人生と同じで、いい時も、そして悪い時もあります。ルイスポールセンが現在の姿となるまでにも右葉曲折がありましたし、そして確固たるデンマークの照明ブランドとなってからでも色々あります。経済動向に売上はもちろん左右されます。また、時代によって変わる経営者の経営方針によって、会社の進め方は大きな影響を受けます。そんな最中でも彼女は「一度も辞めようと思わなかった」と言います。日本に比べ、労働の流動性が柔軟なデンマークでは「解雇」もよくあることです、また「転職」も日本のそれとは比べものにならないくらい柔軟です。また、福祉が充実しているデンマーク、雇用保険の整備面からも労働者は優遇されています。労働保険を1年以上払うと、失業の時に2年の失業保険の給付対象となります。転職に対して柔軟なデンマーク、適材適所が徹底していて、自ら適所を探して数年間、海外を旅する人の数が多いことでも有名です。
ルイスポールセンは1997年、創業2代目のLouis Poulsenの孫が会社を売りに出します。その理由はルイスポールセンが経済的に窮していたからではありません。孫の興味がブランドを育てることから、経済的な心配をしなくて済む静かな余生へと移ったからです。そこからルイスポールセンは創業者の手から完全に離れ、いくつかのプライベート・エクイティ・ファンドに売り買いされることになります。
労働環境、そして条件が彼女に合っていたということはもちろん、彼女が一度もルイスポールセンから離れようと思わなかった理由、それは彼女曰く「デンマークが誇る、デンマークで作り続けられるブランドで働くことは誇り」。ショールームでのLouiseさんに続き「誇り」の再来です。
そんな彼女達が誇るルイスポールセン、デンマークの工場では何を作っているのでしょうか?
現在約560の商品があり、それらを作る約6,000種類の部品のうち、このデンマークの自社工場で45%程を作り、残る55%程の部品の製造は外部のサプライヤーに依頼しています。1日平均2,000個の照明を作るのは200名の工場の作業員、残る100名の従業員は管理部門に従事し、合計約300名でこの工場を切り盛りしています。セールスやマーケティングの多くは先に紹介したショールームの上階にあるオフィスで仕事をしています。
外部に依頼している電気サーキットの多くは日本からのものも多く、またネジや汎用品に近い部品は周辺国に依頼したりと、一つの照明は部品も含めデンマーク国内で全て成り立つといった商品ではないことが分かります。
必要な部品の供給は適材適所。その部品における専門性が高い部品になればなるほど、その適材適所レベルが上がり、例えばガラスシェード製のPHランプの3層ガラスシェードはイタリアのベネチアで製造。その他のガラス部品のほとんどの製造も同じくイタリアののベネチア。高い専門性が必要とされる部品はそれぞれに特化した専門業者を丁寧に選定、「あれもこれもデンマーク国内で」よりも照明全体のクオリティーを高めるためることの方に重きが置かれています。
この工場で作る照明部品の中で最も大きなリソースを使っているのはメタルシェード作り。シートメタルからのシェードの成形、そして塗装です。
【プレス機によるPHのアルミシェード成形】
このプレス機での成形の他、部品によってはターニングマシンにアルミ部材をセットし、人の力で成形する「へら絞り」も使います。アルミプレートへの力のかけ具合、そして仕上げの具合などは「やって覚える」といった職人技が必要なため技術移管が難しい部品作りです。この職人技術は日本が世界トップですが、デンマークでも小さな規模でこうした場所で粛々と行われています。
その他、PH5のシェードを連結する孤を描くアルミ部品はこの工場で作られています。
自社工場で塗装を続ける訳
アルミで成形されたシェード、そのままそれが製品となることはまずありません。その上に塗装を塗布するのが普通です。塗装の目的は2つ。
1:美観
2:耐久性
PH5の場合、以前はこの目的にもう一つ「機能」という目的が付いていました。特にこの「機能」という部分は北欧デザインの「形態は機能性から」という本幹に触れる部分。現在では機能という一面は薄れていますが、それでも完成商品の品質の良し悪しを決める大切な部分である塗装は今でも自社工場で全て行われています。
PH5の中を見ていただくと画像のようにシェードの内側に色が付けられています。PH5が発売された当時は内側の色は全て「青」と「赤」。光は光の三原色で再現されます。「赤」「緑」「青」。PH5をデザインしたポール・ヘニングセンには理想とする光の色がありました。その理想の光の色を再現するためには電球からの光では「赤」と「青」が足りなかったのです。そこで、理想の光の色を再現するため、「赤」と「青」をシェードの裏に塗り、この2色を電球からの光に補填することで理想の光の色を再現したのです。
ただ、現在は時代と共に好まれる光の色も変わり、またPH5のカラーバリエーションの刷新などの理由により、すべてのPH5のシェードの裏が「赤」、そして「青」とはなっていませんが、当初ポール・ヘニングセンが考えた理想の光を追求する情熱は今もルイスポールセン内に息づき、その情熱を絶やさないためにも、塗装部門は今も全て自社工場内で行われています。
金属への塗装には大きく分けて2種類の方法があります。
1)手吹き塗装
スプレーガンを使い、人が塗装をする方法。
2)静電塗装
機械での塗装方法。塗料にマイナス極、そして塗装物にプラス極の電気を帯電させ、吹き出す塗料が電気の力で塗装物に付く方法。
ルイスポールセン工場ではこの2つの塗装設備を持ち、部品の形状なのどの特性、そして塗装コストなどをみながら、それぞの部品に合う最適な塗装方法を選び、丁寧に進められています。
人が塗装する「手拭き塗装」は高い職人技が要求されるもので、昨日今日入ったばかりの作業員が綺麗にできるものではありません。
工場の至る所に自社製品
照明の起源は「火」です。電気照明はその「火」を電気の力でコントロールするようになった「魔法の品」。
かつて人は火に集まり、そこで暖を取り、食事を作り、そして語らい、そして凍えないよう火の近くで床に着いていました。火は家庭のそしてうちの中心。かつての火は薪が唯一の燃料です。その燃料を絶やすことは人に取って命に関わること。もっとも大切な火を守ったのはかつては男性。山から木を切り出し、そして割り、乾燥させた。燃やす時も家族の命を守るため男性は火から離れない。その男性が家長と言われた時代です。
火に集まる家族、そしてそれを守る家長。この原則は火を守ることが起源と言われています。また、かつて火の燃料となった木は長い年月を経て大木となり、そしてゆっくりと燃え、その後は灰となり跡形もなくこの世から消え去ります。この趣を肌で感じていたかつての人の多くが火に神秘的な想いを持っていたと聞いても何の疑問も湧かないと思います。
照明の起源とは神秘的なものなのです。よい照明を見ると、あの頃の私たちの祖先が感じていた神秘性が少し呼び覚まされるのかもしれません。
うちの中心にあった火は松明として各部屋に分かれ、各部屋を照らすようになります。それから蝋燭、油脂ランプ、ガス灯、電気灯へと照明の歴史は流れていきますが、私たちが1番安心する光、それは火の光かもしれません。ポール・ヘニングセンが理想とした光、それは夕方から夜にかけてのあの黄昏の光。あの光、なんとなく火の光と似ていると思う方は多いと思います。人はあの光を求め、安心を得るのだと思います。
ルイスポールセンの工場の至る所には自社製品が使われています。それは作業のため照度がそこに必要だからとの理由はもちろん、もう一つ、働く人に宿るあの光を欲する原始的な欲求を満足させるためのような気がしてなりませんでした。機械的な照度だけが採用される工場とは違い、あの光があるだけで「人に優しい環境」と思えるのは不思議です。
女性が主役の組み立て
産業革命以前のヨーロッパで猛威を奮っていたデンマークと違い、産業革命で力を付けた、フランス、そしてイギリスとの差は広がるばかり。もともと天然資源のないデンマークが活路を見出していた他の北欧国家との連携もイギリス、フランス、そしてドイツからの圧力によって上手くいかないようになります。決定打となったのが1864 年に現在のドイツ北部に位置する当時の「スリースヴィ公爵領」と「ホルスティーン公爵領」、そして「ラウエンブルク公爵領」を戦いで失ったことです。イギリスやドイツに輸出していた穀物類を作り出していたこの比較的肥沃な土地を失うことはデンマークにとってはかつてないほどの痛手でした。そこで、穀物類を諦め、酪農産業へとシフトしていきます。そこからのバターやチーズ、そしてベーコン等の農産物はデンマークの輸出品の大部分占める時代が長く続きました。現在でも輸出品の25%程が農産物です。
重工業が発展しなかった酪農国家デンマークでは女性は大切な労働力です。女性の権利が他の地域よりも重視されるようになり、1914年に女性に国政への参加が認められます(日本では1946年)。今もデンマークでは働く女性は当たり前です。
出来上がった部品を最終製品に組み立てる仕事、この仕事のする人たち、全て女性です。
幸せを願うデンマークブランド
デンマークでは個人の自由が最大限に尊重され、国連の「国際幸福デー」に公表される「世界幸福度ランキング」ではいつも上位にいます(2022年は2位)。「世界幸福度ランキング」は以下の6つの項目を加味して判断されます。
- 1人当たり国内総生産(GDP)
- 社会的支援の充実(社会保障制度など)
- 健康寿命
- 人生の選択における自由度
- 他者への寛容さ(寄付活動など)
- 国への信頼度
統治権を持つグリーンランドを除き、デンマークにはほとんど天然資源がありません。また温帯に属するイギリスやフランスと同じ、西岸海洋性気候ではありますが、それでも様々な農作物が多く取れる程肥沃な土地でもありません。そのため、かつてのデンマークは他の土地を手に入れたり、或いは同盟や連合を組み、本来のデンマーク領土ではない場所からの恩恵を受け、国を成り立たせていました。
植民地との交易からの資本の流動化と巨大化、そして農業革命からの人口増はイギリスでの産業革命を生み出します。そして「資本家」と「労働者」という階層が生まれます。デンマークでも産業革命は起こりますが、元々大きな資本家がいなかったデンマーク、またチーズやバター、そしてベーコンなどの農産物類をイギリスに輸出することで回していた経済に、それほど大きな産業革命は必要なく、その進み方は緩やかでした。「資本家」と「労働者」との大きな階層発生はデンマークでは起きませんでした。
この経済構造の中、デンマークは現在ドイツ領土になっている「スリースヴィ公爵領」と「ホルスティーン公爵領」、そして「ラウエンブルク公爵領」を1864 年の戦いで失ってしまいます。これらの肥沃な南側の土地を失い、そしてイギリス、フランスが産業革命で強靭になっていく様を見ていたデンマーク、領土回復の夢を追わず、残された国土をフルに活用しようという小国主義に転換します。
沼地と原野の広がる荒蕪地を森林に変え、それによって冷害と水害を防止し、ジャガイモ畑と牧場を可能としていき、見事経済的な国難を自らの力で抜け出すことに成功しています。この成功体験はデンマークの小国主義を貫く自信へと繋がります。
人口が少ないデンマーク、男性、女性問わず、仕事をしなければあの国難に立ち向くことはできませんでした。
デンマークの人達の多くに共通する考え、それは「我々が国を作っているのだ」。それは小国だからこそ、そして財政的に豊かではない政府に頼るのではなく、自らが立ち、そして行動してきた先人の成功体験からやって来ています。高い税金を払い、福祉を充実させることに大きな反感が出ないのは、「それらを自らが選択してきた」という自負があるからです。
デンマークに住む誰もが感じる「自らが選択して行動できる」高い可能性。自らの人生に対してあるこの能動的な自由度が幸福度に繋がっています。
ルイスポールセンで働く人達、彼ら、そして彼女らは自らの選択でここで働くことを選んでいます。働く経済的な理由があるのはこの日本でも同じこと。彼ら、そして彼女らが幸せと感じるデンマークでの生活。このデンマークでの幸せを守り続けたいと思うのは当たり前。そして、デンマークが誇るブランドで働くことは、デンマークの未来も今と同様であれと願う行動であるのではないでしょうか。また、現世の幸せは、一国だけで成し遂げれるほど単純じゃないこと、彼ら、彼女らは知っているはず。そんな人達が作るルイスポールセンの商品。「間違ったものができっこない」って強く思うのは実際に工場見学をした私たちだけではないと思います。まだもし、皆様が強く信じられないのであれば、是非私たちにお声掛け下さい。そして実際の商品を正しい使い方で使って見てください。きっと彼ら、そして彼女らがこれからも続く幸せを願う気持ちをご理解頂けると思います。その幸せを願う気持ちは私たちが私たちの幸せを私たち自ら築くための強い力になってくれると信じています。