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彼の建築の原点ってどこ?

フィンランドの伝統的な建築の中で生活

「Alvar Aaltoの生家」Robert McCarter “AALTO” p16

有名建築家であるAlvar Aalto(アルヴァ・アアルト)だから、生まれ育った家も相当のものだろうなと想像してしまいますが、そんなことは全くありません。古くからあるフィンランドのお家らくし、製材された地元の木を使い、在来工法で建てられるお家に住んでいました。フィンランドの伝統的なお家らしく、暖炉やキッチンは石から作られていたと言います。現在ではこういった工法のお家は火事等の影響でフィンランド国内では見ることは少なくなりましたが、地方に行くとまだまだ見ることができます。

フィンランドの古いお家にある石製の暖炉

また北欧と言えば、「光の使い方」。様々な北欧ブランドから素敵な明かりが出されています。もともと、緯度が高い位置にある北欧の国々は年間を通じての日照時間が日本等と比べ極端に少なく、明かりに頼り生活をせざるおえません。明かりの必要性は日本よりも高く、そういった地理的な意味でも照明のデザインに長けていることに納得が行きます。それと、窓から入る北欧の光の入り方はちょっと変わっています。太陽が低い位置にある北欧の国々の窓から入る光は、直接光が多い。天井を照らし、部屋全体が明るくなる光ではなく、お部屋のある場所だけ明るくする光になります。そんな光はお部屋にあるインテリアの陰影がはっきりさせる印象があります。Alvar Aalto(アルヴァ・アアルト)もこんな北欧の光の中で生活をしていたに違いありません。

窓から入るフィンランドの光、 Seurasaari Open Air Museum

生家にあった大きな白いテーブル

Aalto ハウス: ダイニングルーム  Photographed by Jakob Harry Hybel

誰でもそうだと思いますが、小さい頃に受けた影響って、大人になってもずっとその影響が残り、さらに歳を取ると、その影響はさらに顕著になってきます。

Alvar Aalto(アルヴァ・アアルト)の父Johan Henrk Aalto(ヨハン・ヘンリック・アアルト)は街で唯一、高等教育を受けた地域から派遣された森の調査員。そして後世は政治家となり、ロシア支配からフィンランドのアイデンティティーを取り戻そうと奮闘した活動家。その時代のフィンランドを焼き写したような父の生活ぶりがあった家庭で育ったAlvar Aalto(アルヴァ・アアルト)のおうちの食卓には大きな、そして大きな木製の白いダイニングテーブルが置いてありました。Alvar Aalto(アルヴァ・アアルト)曰く、厚さが10cm程、長さは多分3m程と言われるテーブルの上にはいつも父が使う森の地図が広られ、それを俯瞰で毎日眺めながら生活し、またそのテーブルは政治活動をしていた父とその仲間がやってきては政治的な議論の場としても使われていました。この白いテーブルでの影響は間違いなく、Alvar Aalto(アルヴァ・アアルト)の建築や家具デザインで生かされていると思います。

森と共に生きるフィンランド

フィンランドと言われ、真っ先に頭に浮かぶ風景、それは2つだと思います。1つは「リアス式海岸」、もう1つは「森」。リアス式海岸はもと凍土であった土地が氷が溶ける水で侵食されたと言われています。同じ様に、溶けた氷の水がその土地に止まった姿、つまり「湖」もフィンランドのランドスケープとは切っても切り離せない姿です。国土を占める森林の面積の割合は日本と同じ程度で70%、湖は10%を占めています。日本とは違い、森は標高が高い山にあるのではなく、日本でいう「林」のイメージに近く、人が住む場所と同じ標高に森林が広がっているイメージです。湖の数は約190,000とされ、フィンランドを切り取った絵には必ずといっていいほど、有機的な形をした湖、そして森が広がっています。森林にある木の材種はおおよそ3種類「エゾマツ」「マツ」「バーチ」、ほとんどが針葉樹から成っています。森、そしてその森に自生する木はフィンランド国民にとってはとても身近な存在で、「森に守られている」、こんな意識がフィンランド国民のほとんどが持っているようです。例えば、日本だと「山は怖いところだ」という意識を持っている人が多いと思うのです。例えば「姨捨山」等の言葉ができるくらい、スポーツやレジャー以外では「できれば山に入りたくない」と思っている日本の方々は多いのではないでしょうか。これは、ヨーロッパやフィンランド以外の北欧の国でも同じで、英語の表現で恐縮ですが、フィンランド以外の北欧の人々は森に出かける時「we go “into” the forest」(「森に入っていく」)と言うのに対して、フィンランドの人々は「we go “out” in the forest」(「森に出る」)と言うのをよく聞きます。つまり、フィンランドの人々はすでに普段から森の中に住んでいるという意識が強い証拠だと思います。

写真は現在のKuortane(クオルタネ)ですが、Alvar Aalto(アルヴァ・アアルト)が生まれてから8歳まで過ごしたKuortane(クオルタネ)の街は森の中にあり、当時のフィンラインドでは典型的な木製の従来工法のお家が建ち並ぶ、自然溢れる街でした。街中の建物のほとんどは木製、そしてそれに地元で取れる石(特に花崗(かこう)岩)を強度や耐熱が必要な場所に使うといった建築自体もすべてフィンランドならではの雰囲気に包まれていたといいます。

Jyvaskyla(ユヴァスキュラ)での11年間が彼の人生の方向性を決めた

Alvar Aalto(アルヴァ・アアルト)は父がJyvaskyla(ユバスキュラ)の町の議員に選出されたことから、その街に引っ越すことになります。8歳から18歳の人生の中で一番多感な時期にこの街で生活をしたことは後世に大きな影響を及ぼしています。

彼が通った学校はフィンランドで一番最初にできた、フィンランド語によって教育が行われる学校です。ロシア語、そしてスウェーデン語で教育が行われていましたが、ロシアからの独立ムードが高まってきたこともあり、フィンランド語を公用語として使う流れが出来てきました。そんな中、ヘルシンキではなく、国最初のフィンランド語で話す学校ができる街であった、Jyvaskyla(ユバスキュラ)という街の雰囲気がす少し想像できます。

Alvar Aalto(アルヴァ・アアルト) の父、J.H. Aaltoはフィンランドのアイデンティティを守ろうとする政治政党の「Young Finns」の党員、その反対勢力(既存勢力の保持を訴える勢力)の党首はフィンランドの後の大統領となるJ.K.Paasikivi。政治的な対立が普段から激しく行われていた街でした。また、その2つの勢力が自由に活動ができるほど、Jyvaskyla(ユバスキュラ)という街はある意味リベラルな街であっと言えます。支配国家の言葉(ロシア語)ではなく、自国の言葉(フィンランド語)で教育を受けた彼の回りには、まだまた保守的な人も多く、別の言語で話している人も沢山いたといいます。多言語文化の中で生活することは既成概念に則して生きることへの疑問を常に持つ子供に成長していったに違いありません。また、行動的で学者肌である父と同じように、Alvar Aalto(アルヴァ・アアルト) の母方の祖父(Hugo Hachstedt)もまた、Evo Forestry Institute という学校で森林学を教えたりする先生であったりと、常に回りに学ぶことにポジティブな人達に囲まれ生活ができたことは、忘れてはいけないポイントだと思います。また、以前住んでいたKuortane(クオルタネ)同様、緑豊かなこの街で、その風景を絵に収めたり、あるいは父の手伝いで森に出かけることが多かったAlvar Aalto(アルヴァ・アアルト)の生活は、後世彼が残した建築であったり、そして家具であったり、そしてガラス作品であったりに影響していることは間違いありません。バウハウスが提唱した建築理論に異を唱えた時の既成概念にとらわれない姿勢、そして建築物、特にその中で使うインテリアに木を好んで使ったという理由は彼の生い立ちかからの所以であると思います。

15歳の時、最初の建築の仕事は家族のために

「フィンランドのボートハウス」 European Tourist Guide (http://www.euro-t-guide.com/)

Alvar Aalto(アルヴァ・アアルト)は1916年か1921年まで(18歳から24歳)まで「Finnish Institute of Technology」で建築を学びます。それまで絵を書くことに集中していた彼がどうして、この時に絵の道ではなく建築の道に進んだかの確か資料は見当たりませんが、先にご紹介した9歳の時に見たEliel Saarinen(エリエル・サーリネン)の建築物からの影響もあると思いますし、また彼は学校に入るまで、お父さんを通じて有名画家との交流もあったようなので、その中で画家として生活を成り立たせることの難しさだったり、自分の才能の限界だったりを感じたのかもしれません。

学校に入学してからも、学友の多くは画家を目指している人が多かっと言います。そんな絵の虜になっていた彼ですが、15歳の時に建築の設計をしています。これが最初の彼の建築家としての仕事です。家族のための「サマーハウス」です。Lake Ahtariの近くに父がサマーハウス(別荘)を建てる土地を手に入れると言い出し、その土地に建てるための別荘の設計をしたと言われています。ただ、この別荘は家族の財政的な理由で実現しなかったのですが、デザインした別荘は写真にあるようなフィンランド特有の木製のボートハウスのようなものだったそうです。このあとAlvar Aalto(アルヴァ・アアルト)が実際に建てられた建物に携わった最初の建築物はAlajarviにあるDefence Corpsのクラブハウスです(写真)。1919年のことです。つまりまだ彼が学生(21歳)だった頃の仕事です。フィンランド独立運動の中でAlvar Aalto(アルヴァ・アアルト)自身もDefence Corpsに身を置いた経緯があることからこの仕事の依頼が来たということです。

Photo: The Defence Corps and Lotta Svard museum

Finnish Institute of Technologyで学んだことは基本的にクラシック

Armas Lindgren デザイン「 New Student House」

Finnish Institute of Technology の特徴的なところは、教授達がただ単に教えているだけの職業教授ではなかったことです。学校で教鞭と取りながら、実際にプロジェクトに対して現役でデザインをし続けていたことです。教えてもらった最初の先生はArmas Lindgren(アルマス・リンドグレーン)。Eliel Saarinen(エリエル・サーリネン)と同じ建築事務所「Saarinen and Gesellius」に属していた現役の建築家。

Armas Lindgrenに代わって教鞭を取ったのが、Gustaf Nystrom(グスタフ・ナイストローム)。フィンランドの建築にコンクリートと鉄を上手く取り込むことに最初に成功したと言われる有名建築家。

Gustaf Nystromデザイン「Art Museum of Turku」

Usko Nystromデザイン「Imatrankoski State Hotel」

通年で教鞭を取っていたのが、Usko Nystrom(ウスコ・ナイストローム)。彼が建築に対して積極的に実践していた機能的な優美性、そして使う素材、使い心地について人がどう感じるかを中心に考えながら設計を実践する姿は後世のAlvar Aalto(アルヴァ・アアルト)の姿にとてもよく似ています。

時代はロシア支配下でフィンランド国全体を覆った「北欧ネオクラシック様式」から、フィンラインドのアイデンティティを取り戻そうとした「北欧ナショナルロマンティック様式」に代わり、バウハウスの影響からのラショナリズム様式へ少しづつ変化している過渡期であったのですが、上記の教授の基本にあるのがイタリア、ギリシャ、そしてエジプトにあるクラッシック建築様式であったことから、「基本を学ぶ」という意味からAlvar Aalto(アルヴァ・アアルト)が受けた教育のほとんどは古典的なクラッシック建築であり、当時街の有名な建物のほとんどが「北欧ネオクラシック様式」であったことから、当時のAlvar Aalto(アルヴァ・アアルト)の建築への考え方の基本はロシア支配下で推奨された「北欧ネオクラシック様式」であったと言われています。

ロシア支配からの独立での混乱

フィンランド独立宣言書

大学で2年が過ぎようとしている時にフィンランドのロシアからの独立がやってきます。1917年のことです。独立宣言をした年からの数年間はロシアへの支配に戻そうとする動き、それに対抗するようにドイツからの軍事的な支援を受けて立ち向かうグループとの戦闘が各地で繰り返されていました。Finnish Institute of Technology はフィンランド独立を支援する方のグループに属し、Alvar Aalto(アルヴァ・アアルト)もDefence Corpsに所属し、大学に止まり一緒に戦いました。同じく、独立を支援する家族は戦火を逃れるために、Jyvaskyla(ユバスキュラ)の北部に移り住むなど、フィンランド激動の時代をその中心で青春時代を過ごしました。

1918年にヘルシンキに住む叔母のアパートに移り住んだAlvar Aalto(アルヴァ・アアルト)はこんなこと父に言っています。

「めちゃ大きなテーブルを買ったぞ!」

こんな動乱の時代だからこそ、あの平和な幼少期に過ごしたあのお家にあったあの大きな食卓テーブルのことが忘れられなかったのでしょう。

建築家としての旅立ち

Erik Gunnar Asplundデザイン「森の中の教会」

1920年にAlvar Aalto(アルヴァ・アアルト)は建築を見るために、スウェーデン、そしてデンマークに出かけます。生まれて最初の海外旅行です。それまで学んで来た「様式」に囚われる建築設計ではなく、その建築を使う人の考え方、場所の所以、そして素材の特徴等、過去に囚われることのない、でもしっかりとした建築基礎が備わっている建築設計で有名な「北欧モダン建築の原点」と言われるスウェーデンのErik Gunnar Asplund(エリック・グンナール・アスプルンド)の数々の建築物を見た彼は、学校を卒業をしていないにもかかわらず、Asplundの建築事務所への就職するために応募を出しました。職を得ることはできず、ヨーボリにある建築事務所で1ヶ月の間仕事をしました。

ある意味、大国支配にあったフィンランドは安定していました。そのため、採用される建築様式も決まったものが多く、民衆も多くの望んでいませんでした。それが、動乱の末に勝ち取った独立で、民衆が様々なものを望むようになると、それまで決まった建築様式が常に選ばれていたプロジェクトの内容も様変わりし始めました。これといった標準の建築様式がない中、様々な提案が様々な建築家から出され、選べない施主は結果、コスト重視で結果を出すようになるという、Alvar Aalto(アルヴァ・アアルト)のようなしっかりとした考え方を持つ建築家は不満の多い時代になってしまったのです。そんな中、使う人の目的、素材の本質、場所の所以等、もともと「建築ってなんだろう」っていう原理主義から建築に携わるErik Gunnar Asplund(エリック・グンナール・アスプルンド)の建築への姿勢、そしてその姿勢が世に受け入れられ、様々なプロジェクトをこなしていた姿はAlvar Aalto(アルヴァ・アアルト)にとっては理想の姿だったのだろうと思います。

多難な独立

Alvar Aaltoデザイン「Industrial Exhibition Band Shell」、Finnish National Fair in Tampere in 1922

Finnish Institute of Technologyを卒業した彼は1922年の徴兵制度が終わるとすぐに本格的に建築家として独立をします。ヘルシンキ近くのToolonkatuという街です。仕事の入りは芳しくなかったようで、この時期の唯一大きなプロジェクトは写真にある1922年のタンペレであったFinnish National Fairに出した「Band Shell」という建築だけです。

見て頂くと分かるように、すべて木で作られています。クラッシック建築を学んだ彼ですが、作るものには温かみが感じられる木を使うことをこの頃から実践していたのが感じられます。

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